『仏説阿弥陀経』「倶会一処」また会える世界が私たちの心を支える

『仏説阿弥陀経』私たちの進むべき方向性を教えてくれるお経

『仏説阿弥陀経』では、阿弥陀如来によって完成された極楽浄土の様子が説かれております。

今を生きる私が願い求めるべき場所でありますので、お釈迦さまは「こんなに素晴らしいところだから、阿弥陀さまのお浄土に生まれたいと思ってお念仏を称えておくれ」と、私に勧めてくださっておられるのでしょう。

それでも、世の中の楽しいことばかりに心を奪われて、「ただお浄土を目指す人生」を歩もうとしないのが、私の本当のすがたであります。

親鸞聖人は次のように言葉を残されました。

歎異抄の言葉

久遠劫より今まで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、 いまだ生まれざる安養の浄土は恋しからず候こと、 まことによくよく煩悩の興盛に候にこそ

実際、親鸞聖人は煩悩によって現世は恋しくてお浄土を恋しく思えないことをお示しくださいました。

どんなに立派な世界であり、本来なら願い求めるべき場所であるにも関わらず求めることができない。自分自身のすがたを教えてくれているような言葉のように感じます。

そのような私に、お釈迦さまは『仏説阿弥陀経』の中で「倶会一処」とお勧めくださいました。

【倶会一処】決してお別れじゃなくまた会える世界があります

『仏説阿弥陀経』では、次のように説かれております。

また舎利弗、極楽国土には、衆生生ずるものはみなこれ阿跋致なり。そのなかに多く一生補処〔の菩薩〕あり。その数はなはだ多し。これ算数のよくこれを知るところにあらず。ただ無量無辺阿僧祇劫をもつて説くべし。舎利弗、衆生聞かんもの、まさに発願してかの国に生ぜんと願ふべし。ゆゑはいかん。かくのごときの諸上善人とともに一処に会することを得ればなり。

また舎利弗よ、阿弥陀さまのお浄土に生まれる方々は、誰もが仏のさとりを賜ることが決定しております。菩薩の数は実に多く数えきることができません。まして、それを説くには限りない時をかけなければなりません。

舎利弗よ、このようなありさまを聞いたなら、ぜひともその国に生れたいと願ってください。なぜならば、お浄土に生まれたならば、これらのすぐれた方々と、ともに同じところに集うことができるのです。

阿弥陀さまのお浄土には、仏になることが約束された菩薩さまが数え切れないほどいらっしゃいます。

それは、決して私たちが知らない方々ではありません。

私たちのご先祖さまはもちろんのこと、不遇な出来事によって生き別れをしなくてはならなかった方々。

地震や火事や津波といった災害により、急に別れなくてはならなかった方々。

寝たきりになってしまって、「伝えたいこと」が伝えられなかった方々。

誰かのいのちが終えると、様々な後悔という気持ちに押しつぶされそうになることもあります。

そのような方々に、

「また会うことのできる世界がお浄土なんだよ!」

そうやって、お釈迦さまが私を励まし、勧めてくださっているようであります。

「さようなら」ではなく「また会おうね」と思える倶会一処の言葉

私は、誰かのいのちが終えた時に、「さようなら」という言葉は決してかけません。

「次はお浄土でまた会おうね!」

最後にそう言える心のゆとりを浄土真宗のみ教えは与えてくれました。

愛する方との死別によって、第三者では決してわからないほどの悲嘆にくれることもあるのが、この世界の現実であります。

しかし、「倶会一処」という言葉が、「別れではなかった、また会える世界があるんだ!」という気持ちを与えてくれます。

そこに、「悲嘆」だけではなく、阿弥陀さまのお救いを通して「安心できる」境地があるんですね。

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