【仏教の言葉】浄土真宗の永代経は「私」が聞くためのご縁でした

【永代経】故人さまの命を大切にする法要

お参りに行った先で、「永代経あげて!!永代経っていくらかかるん??」そう言われることがよくあります。

実は、その度に、「永代経ってなんだろう・・・」と思っておりました。

と言いますのも、お釈迦様のお言葉を残されたお経は「八万四千の法門」と言われるほど、数え切れない数があります。

しかし、「永代経」というお経は存在しておりません。

永代経をあげて欲しい」と言ってくださる方とお話をしていると、

「亡くなっていかれた方々のためにお経をあげる」

「亡くなっていかれた方が、いつまでも幸せでいられるように祈る」

永代経には、そのような意味があるのだと捉えられているようであります。

確かに、そのような気持ちも大切ですよね。

永代経という法要だけではなく、みなさまのご自宅で勤められるご法事もそうです。

亡くなった方のために勤めたい」という思いが、私たちをお仏壇の前に進ませてくれますよね。

愛する人を亡くした時、「その方が幸せになってほしい」そんな気持ちは自然と湧いてきます。

そのような意味合いで、亡くなった方に対するお経での供養を「永代供養」と言われております。

【永代供養】供養の対象は誰でしょう?

「永代供養」という言葉を使用する際、多くの場合が亡くなられた方に対する供養を指しております。

しかし、ここで一つ考えたいことがあります。

それは、私たちのはたらきで、本当に亡くなった方が幸せになれるのでしょうか。

私が亡くなった方に対して供養しなければならないのでしたら、命を終えても成仏できずに迷い続けていることになります。

信心を得てもお念仏をいただいても、この人生で救われないのでしたら、不安を抱えたまま人生を終えていかなくてはなりません。

そのような不安を抱えたままの私を救いとると誓われた仏の存在を聞かせていただくのが浄土真宗です。

浄土真宗では、「私の行ないによって仏様の国に連れて行く」ということはしません。

「私が誰かを連れて行く」ことを聞くのではなく、「すでに確かな拠り所をいただいている私であった」ということを聞かせていただきます。

亡くなられた方が供養できるように祈るのではなく、すべての命を放っておかない阿弥陀さまをお讃えさせていただく。

讃嘆という供養をさせていただきましょう。

浄土真宗での永代教の大切な考え方

以前、岐阜県のあるお寺の永代経に行きますと、お寺の門に次のように書かれてありました。

永代聞法会(えいたいもんぼうえ)」と読みます。

非常にわかりやすく浄土真宗の永代経の意味を示されています。

「永代」とは、「永き代」ですので「いつまでも」という意味です。

「聞法会」とは、「法を聞く集まり」ということです。

「法」は浄土真宗というおみのり。

つまり、阿弥陀さまのお救いただ一つです。

ですので「永代聞法会」とは、「いつまでも阿弥陀さまのお救いを聞かせていただける集まり」という意味であります。

私が聞くご縁であることを最も大切にしたい

「永代聞法会」「永代経」では何よりも「私がお救いを聞かせていただくこと」を大切にしなければならないんです。

確かに、「亡くなった方のために」という自然と湧いてくる気持ちを否定することはできません。

浄土真宗で、永代経が大切にされてきた背景には、亡くなっていかれた方々への「ありがとう」という想いがあるんだろうなと個人的に思っています。

ありがとう、あなたの命を無駄にしないために、あなたの命の終わりのご縁を通して、確かな拠り所を聞かせていただきます

そんな気持ちで永代経を勤めさせていただくべきであります。