【機法一体】南無阿弥陀仏は「南無」と「阿弥陀仏」。本来一体の救い

【機法一体】それぞれの言葉の意味から内容を考察

「機法一体」を「機」「法」「一体」の三つの単語に分けて意味を考察していきます。

「機」
救われてゆく私たちのすがた。つまり信心のこと。「法」
阿弥陀さまの救いの力・はたらき。
「一体」
一つのものであるということ。

ゆえに「機法一体」とは、「私たちの信心()」と、「阿弥陀さまの救いの力・はたらき()」は「一つのもの(一体)」であるということを意味します。

「南無」と「阿弥陀仏」で「南無阿弥陀仏」。それぞれの意味は?

浄土真宗本願寺派八代目宗主の蓮如上人は、お手紙の中で次のように述べられております。

南無の二字は衆生の阿弥陀仏を信ずる機なり。次に阿弥陀仏といふ四つの字のいはれは、弥陀如来の衆生をたすけたまへる法なり。このゆへに機法一体の南無阿弥陀仏といへるはこのこころなり

「南無の二字は衆生の阿弥陀仏を信ずる機なり。次に阿弥陀仏といふ四つの字のいはれは、弥陀如来の衆生をたすけたまへる法なり」

という前半の言葉は先に挙げた「機」「法」の意味と合致した内容であります。

後半の言葉が、蓮如上人の特徴的な解釈であります。

このゆへに機法一体の南無阿弥陀仏といへるはこのこころなり

つまり「南無阿弥陀仏」とは、「衆生の信心」と「阿弥陀さまのお救いの力・はたらき」によって成立していると言われております。

その他、六字全体を衆生の信心にした解釈や、六字全体を阿弥陀さまの救いの力・はたらきとした解釈もあります。

このように、蓮如上人には様々な南無阿弥陀仏の解釈があるのですが、南無阿弥陀仏という言葉の意味からいえば、南無の二字は衆生の信心をあらわし、阿弥陀仏の四字は阿弥陀如来の救いの力・はたらきをあらわす言葉であると言えるでしょう。

【一体】元々は別々ではなく、本来は一つと捉えましょう

衆生の信心と阿弥陀さまの救いの力・はたらきとは、本来一つのものであります。

組み合わさって南無阿弥陀仏になるのではなく、衆生の信心となってはたらくものとして、南無阿弥陀仏は完成されているのであります。

ですので、衆生の信心は衆生自らがはからいによっておこすものではありません。

阿弥陀さまの救いの力・はたらきによって成立するものであります。

つまり、衆生を信ぜしめ、救いとる法として成就されてあるものが機法一体の南無阿弥陀仏と言えます。

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