
多くの感情を利用して生きる私たち
アドラーは私たちに多くの気づきを与えてくれます。
今回の言葉では、私たちから出てくる「感情」の意味合いに焦点を当てられております。
意識と無意識に関わらず、毎日多くの感情を利用して生きておりますので、今回も皆様が受け取りやすい内容かなと思います。
今回は2つの言葉です。
一つ目
悲しいから涙を流すのではない
相手を責め同情や注目を引くために泣いているのだ
二つ目
カッときて自分を見失い怒鳴ったのではない
相手を支配するために怒りという感情を作り出して利用したのだ
みなさまは、この言葉をどのように受け取られたでしょうか。
【目的論】感情は出てくるものではなく利用するもの
この二つの言葉はアドラー心理学の「目的論」という考えに当て嵌めることができ、その意味で同じことを示していると考えられます。
今回は、「泣く」「怒る」という感情が出ておりますが、共通して感情を利用しているのだと述べられております。
私たちが泣いたり怒ったりする時、その原因に注目します。時には、誰かを非難してしまうこともあります。そのような考えを「原因論」と言います。
この原因論をアドラーは否定しました。「原因があって行動している」ことを否定して、「目的があって行動している」のであるという「目的論」を示されました。
今回のアドラーの言葉では、「泣く」「怒る」ことについて、
「相手を責め同情や注目を引くために泣いているのだ」
「相手を支配するために怒りという感情を作り出して利用したのだ」
という目的があるのだと述べられております。
ここで注意しておきたいのが、目的があるとは言っても「意識的に目的のために感情を利用しているとは限らない」ということです。
無意識に、気付いたら「泣く」「怒る」という感情を利用していないか?と私に問いかけることができるのも目的論の捉え方と言えるでしょう。
「目的論」だから私たちは変わることができる
もしも、自分の行動全てに原因があるという原因論の考えでは、過去を振り返るばかりの人生になってしまいます。しかし、目的論は「今の私の目的」を考えられるため、選び直したり、変えていくことができます。
人生を良くするためには過去を振り返るのではなく自分の人生の行く末を見つめ直さなければなりませんが、そのために目的論は最適な考え方と言えるでしょう。
今回のアドラーの言葉を通して、感情だけではなく、私の選んだ行動全てに目的があって今の私が生きているのだと感じたいものです。
そして、これからも私たちの人生はいつでも変えることができます。